茶の湯のはじまり
陸羽の茶経・日本の歴史に見るお茶・村田珠光・一休・武野紹鴎・千利休
日本の歴史にみるお茶 | |
奈良時代 |
空海の本の中に"茶"という言葉があり、最澄が近江坂本の日吉神社に茶を植え、 延暦寺で供茶を行ったとされている。 |
815 |
嵯峨天皇 近江唐崎行幸のおり 僧永忠 より献茶を受ける。 この時代は、僧侶が禁裏で薬用、覚醒効果期待として飲用されていた。 |
平安時代 |
中国との国交が途絶え茶色のプーアール茶に似た団茶は敬遠され、 ミカンの皮などを煎じて清涼飲料水を楽しんでいた。 (現在のレモネードのようなもの) |
鎌倉時代 1191 | 栄西禅師が宗の国から茶種を持ち帰り平戸に植える |
1207 |
京都栂の尾(とがのお)・高山寺明恵上人に茶種を送りここに植えられる。本茶として現在でも催事が執り行われる。 この時代はバサラ大名(守護大名でありながら古い権威や習慣に捕われず, 奇天烈,派手で粗野な風情を好む)などによる闘茶がもてはやされた。 闘茶:何種類かのお茶を飲み、本茶である栂尾産の茶を当てる遊び 茶会なることばも出てくる。 茶寄り合い等の遊興的な趣向になっていった。 |
南北朝時代 |
足利尊氏、建武式目で連歌茶寄り合いを禁じる。 庶民の間でも簡単に茶が飲めるようになり「一服一銭」の立売り茶が出始める。 |
室町時代 |
足利義光 金閣寺建立 書院造りの茶室の出現 |
村田珠光 茶の湯に精神性を求める「茶とは遊に非ず芸に非ず、一味清浄、法喜禅悦の境地にあり」、 わびちゃ創設 武野紹鴎 茶道は珠光にはじまり利休居士によって大成されたが、この二人をつなぐのが紹鴎、 侘びの理念を確立 |
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戦国時代
1522 |
千利休 田中与四郎として出生、「侘び茶」を完成 織田信長 本能寺茶会の後明智光秀にうたれる。 |
安土桃山時代 |
豊臣秀吉、黄金の茶室建立 北野天満宮大茶会 天正19年2月28日 利休切腹 利休七哲 |
織田有楽斎 国宝茶室如庵建設 片桐石州 将軍家茶道師範となる 千宗旦 大徳寺にはいる |
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徳川時代 |
表千家・裏千家・武者小路千家の出現。 宗旦の三男江岑宗左が不審庵を譲り受け「表千家」と称する 四男仙叟宗室が閑雲亭、今日庵などを譲り受け「裏千家」と称する 次男一翁宗守は京都武者小路に分家し「武者小路千家」と称する 小堀遠州 将軍家茶道師範となる |
末期 |
井伊直弼(雅号:宗観) 「独座観」を確立する 亭主は客を招いても万分の一も語れないものだ、だから客を見送った後で 客の帰路を案じ、今日の一期一会が再び帰らぬことを観念し、独服し客を偲べ」 |
明治、大正、昭和、現代と茶は時代と共に様々な様相を呈して、禁裏、武士、町人、政財界、一般庶民の間で親しまれてきた。 |
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